奈良時代の地誌『風土記』から見る昔の甘酒の世界

大和国飛鳥(奈良県高市郡)の藤原京から平城京(奈良県奈良市)へと遷都(約25キロ)した直後の713年(和銅6年)、元明天皇(43代:在位707~715年)の勅命によって各国に編纂させた地誌で、国ごとの産物・地名の由来・古老の伝聞などを記録させたものです。

風土記には甘酒に通じる酒類の記載はないが、日本初の麹を用いた酒造りの話や、唾液の酵素で澱粉を糖化して造る口噛み酒に関する記述が見られます。

風土記一覧

まとまったものとしての現存は、

・常陸(ひたちの)国風土記(東海道に属する、現在の茨城県辺り)

・出雲(いずもの)国風土記(山陰道に属する、現在の鳥取県東部辺り)

・播磨(はりまの)国風土記(山陽道に属する、現在の兵庫県南西部辺り)…濡れた飯に生えた黴、それで仕込んだ庭酒

・豊後(ぶんごの)国風土記(西海道(九州)に属する、現在の大分県辺り)

・肥前(びぜんの)国風土記(西海道(九州)に属する、現在の長崎県辺り)

 

部分的に残っており酒に関わりのある記述が見られる風土記が

・大隈(おおすみの)国風土記(西海道(九州)に属する、現在の熊本県辺り)…口噛ノ酒

 

播磨国及び大隅国風土記に見られる記述

播磨国風土記に見られる古代の米麹を用いた酒

播磨国とは現在の兵庫県辺りを指し、風土記に見られる『庭音(にわと)の村』は現在の庭田(にわた)神社辺りであったそうです。

庭田神社の所在:兵庫県宍粟市一宮町能倉1286

 

庭音の村の項目より

大神の御乾飯が濡れてかびが生えた。すなわち酒を醸させ、それを庭酒として献って酒宴をした。だから庭音の村といっている。

この頃が酒の始まりではないが、古代の文献に見られる初めて麹を用いた酒造りの記述になります。

 

この庭酒(にわき)は現在、風土記の記述を参考に播磨の酒蔵メーカー7社によって開発・製品化されており、手にすることが可能です。

精米歩合90%、庭田神社で採取した庭酵母を用い、酒母は生酛か山廃酛、醪は現在主流の3段仕込みではなく、1段仕込みで造られているそうです。味は酸味が強く、甘酸っぱいお酒なのだとか…これは是非飲んでみたいですね!

このお酒の特筆すべき点は、精米歩合が90%と高いこと、そして醪を1段仕込みで造っていることです。

私たちが普段よく飲む日本酒である大吟醸酒から本醸造酒は全て特定名称酒という括りのお酒です。そして、そこで規定されているお米の精米歩合は70%以下(純米酒のみこの縛りがなくなった)です。精米歩合が高いとタンパク質と脂質の含有量が高くなるので、お酒の味わいが変わります。

さらに現在主流の醪の造り方は、3段仕込みという方法で、酒母の中に米・米麹を3回に分けて目的の量まで加えていきます。そうすると、酒母内の微生物の濃度が薄まり過ぎるのを防ぎ、酵母や乳酸菌などの有用微生物の増殖に伴い原材料を投入していく為、安定した生産をすることができます。しかし、この庭酒では1段仕込み、つまり酒母の中に米・米麹を目的の量まで一気に加えることになり、3段仕込みとは発酵の勝手が異なることになります。

これら2点のことは、近代の技術を用いず、昔の酒造りを顧みた結果、この様な造り方になっているそうで、味わいが気になります。

 

大隅国風土記に見られる唾液の酵素を用いた口噛み酒

大隅国とは現在の熊本県辺りを指し、『醸酒』の項目の説明文に『くちかみの酒』が見られます。

 

醸酒の項目より

大隅の国では、一軒の家で水と米とを備えて、村中に告げてあるくと、男女が一所に集合して、米を噛んで酒糟に吐き入れて、散り散りに帰ってしまう。酒の香が出てくるころまた集まって、噛んで吐き入れた人たちがこれを飲む。名づけてくちかみの酒という。

この口噛みの酒は日本だけでなく東南アジアや中南米を中心に広く分布しています。

さらに近年のアニメ『君の名は。』でも取り上げられた事で記憶に新しいかと思います。

なぜ、口で噛んだ米で酒を造ったのかという事ですが、皆さん、ご飯を食べた時に噛むたびに口の中で甘くなっていく体験をした覚えはないでしょうか?

人間の唾液の中にはお米の澱粉を分解する酵素が含まれており、口の中で噛むたびに酵素の作用によって澱粉が糖に分解され甘味を感じるのです。

この人間の唾液の酵素によって分解されてできた糖を酵母がアルコールに変える事で口噛み酒が出来上がります。

ここで播磨国風土記に見られる麹による酒造りに戻りますが、酵母が糖をアルコールに変える仕組みは口噛み酒と同じです。違いは、人間の唾液の酵素を用いているのではなく、黴が作り出した酵素を用いて澱粉を糖に分解しているという事です。

 

まとめ

今回取り上げた風土記には甘酒に関わりのあるキーワードは見られませんでした。しかし、米麹甘酒を造るのに欠かすことのできない麹の利用が、この風土記に初めて見られたという重要性から題材として取り上げました。

麹には様々な微生物が混在し、そのバランスによって味わいや性情が大きく左右されます。現在の様に、綺麗で微生物学的知見があったわけではない古代の麹はどの様なものだったのか…

大体の醸造物全般に言えることですが、ヨーグルトは置いておいたら酸っぱくなって固まった乳、ブルーチーズは洞窟で乳を保存していたら青い黴が生えていて美味しかったなど、一体、なぜそれを口にしようと思ったのか不思議な事ばかりです(笑)

今みたいに、微生物学や疫学が発達し、さらに食料が簡単に手に入り、ちょっとしたことで直ぐに捨ててしまう世の中では、腐敗として片づけられてしまう現象で、きっと病気になる人も居たことでしょう。

それでも限りある食材を長く食べられる状態にする為、より高度な加工品にする為の創意工夫が8世記の文献に見られ、それが現代に再現され、また引用されているという姿を見るのは楽しいことですね。

 

参考文献

・吉野裕、(2000)、風土記、平凡社

・国税庁、https://www.nta.go.jp/shiraberu/senmonjoho/sake/hyoji/seishu/gaiyo/02.htm

・産経ニュース、http://www.sankei.com/region/news/150227/rgn1502270064-n1.html

・産経ニュース、http://www.sankei.com/region/news/140409/rgn1404090069-n1.html